『研究紀要』第27号掲載拙稿の校正漏れについて

No.10266

お詫びと訂正

 京都女子大宗教・文化研究所の『研究紀要』第27号に「十二世紀末における阿波国の武士団の存在形態-いわゆる「田口成良」の実像を中心に-」と題する拙論を発表致しました。
 このところ、耄碌がひどいので、何度も校正の機会を与えて頂き、これなら大丈夫と安心していたのですが、もはや私には「完全」や「完璧」は期待できないもののようで、七「讃岐国の在地勢力と粟田氏」の注5本文が脱落しておりました。校正漏れをお詫び申し上げます。
 そのため、77頁の注4に続けて、下記の注5を加えさせて頂きたく、お願い申しあげます。

(5) 『後白河院北面歴名』は、小松茂美「右兵衛尉平朝臣重康はいた─「後白河院北面歴名」の出現─」(古筆学研究所『水茎』第六号、一九八九年)に紹介されている。なお、ここに京武者や文士のみならず、下野の宇都宮朝綱や伊予の河野通信など、草創期の鎌倉幕府で活躍した地方武士の名が見えることは、拙稿「下野宇都宮氏の成立と、その平家政権下における存在形態」(京都女子大学宗教・文化研究所『研究紀要』第二六号、二〇一三年)で指摘したところである。
編集:2014/02/22(Sat) 21:30

春先の『紫苑』の校正の季節-次回の『吾妻鏡』-

No.10268

 『紫苑』第12号も初校が出来しました。それほど時間もありませんが、しっかりと何度も読み返すなど致しましょう(私もがんばります)。
 自分の“目”だけでは不安だ…という場合は(私は不安です)、知り合いの方にお願いしてみるのもいいかもしれませんね。執筆者同士で相互にチェックしてみるというのも、お互いの文章の良し悪しを客観的にみる機会になっていいかもしれません。

 次回の『吾妻鏡』のご案内です。
 開始時間がいつもと異なりますのでご注意ください。

 日時:2014年2月27日(木)午後1時頃~(予定)

 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:頼家・実朝期の振り返り

 ※しばらく“振り返り”を続けていきますが、それが終わった後の範囲は以下の通りです。
     承元四年(1210)正月一日、二月五日・十日・二十一日、三月十四日・二十二日、四月九日・十九日、五月六日・十一日・十四日・二十一日・二十五日、六月三日・十二日・十三日・二十日、七月八日・二十日、八月九日・十二日・十六日、九月十一日・十四日・三十日、十月十二日・十三日・十五日、十一月二十二日・二十三日・二十四日、十二月五日・二十一日の各条
     承元五年(建暦元年、1211)正月十日、閏正月九日、二月二十二日、三月十九日、四月二日・十三日・二十九日、五月四日・十日・十九日、六月七日・二十一日・二十六日、七月四日・十一日、九月十二日・十五日・二十二日、十月十三日・十九日・二十日・二十二日、十一月二日・三日・四日・二十日、十二月一日・十日・十七日・二十日・二十七日の各条

 三月の『吾妻鏡』は、6日・13日に開催予定で、それ以後はまた随時ご相談させていただきたいと思います。 
 『吾妻鏡』講読会は基礎的な史料読解のニーズにも対応しております。「授業がない期間にも史料読みたいな…」という方は、まずは見学からでも、どうぞご自由にご参加ください。
 京都女子大の方限定ではありませんよ。